文・写真:しみずことみ
府中駅から歩いて5分ほど。
広がる空と整備された広場の一角に、「武蔵国府跡」の石碑が立っています。
ここは、かつてこの一帯を治めていた武蔵国の政治・行政の中心地。およそ1300年前、奈良・平安時代の頃には、この場所に国府の建物が立ち並んでいました。
その痕跡をたずねることができるのが、国史跡に指定されている「武蔵国府跡国司館地区」です。
スコープタブレットという「窓」
この場所の魅力をより深く味わえるのが、VR技術を活用した「スコープタブレット」体験です。
専用のスコープをのぞくと、そこに現れるのは、復元された当時の建物や人々の営みの風景。CGで再現された国司館の中庭には、役人たちが整然と並び、使者の出入りや儀式が行われている様子が描かれています。
スコープを通して見える世界は、ただの映像ではありません。立体感と奥行きがあり、まるで自分がその場に立っているかのような没入感があります。
「風が吹いていたのだろうか」
「馬のひづめの音が響いていたのかもしれない」
そんなことを自然と想像してしまうほど、景色の中に引き込まれます。
目の前にある現在の空間と、過去の風景が交差する瞬間。まるで記憶の断片をなぞるように、静かに時間がほどけていく感覚がありました。

▲スコープ・タブレットを手に、古代へ。

▲この小さな装置が、時空の窓になる。

▲レンズの向こうに、千三百年前の国府の光景がひらく
「見る」から「感じる」へ
施設内には、発掘調査の成果をまとめたパネルや、地図、模型なども整備されています。
地中から現れた柱跡、建物の配置、周辺の地形や道。
それらをもとに、研究者たちが何度も試行錯誤しながら、往時の姿を紡ぎ出してきたことが伝わってきます。
けれど、そこに「自分の身体で立つ」という体験が重なることで、理解はさらに深まります。
たとえば、スコープで見た建物の奥行きや広がり。
実際にその広場に立ち、振り返ったり空を見上げたりすることで、かつての人々が見ていたであろう風景のスケールが、ぐっと実感をもって迫ってきます。
学びというより、「感じる記憶」。
そうした感覚を伴うことで、この場所の時間の厚みに、ようやく少し触れられたような気がしました。

▲暮らしのまっただ中に、国府のミニチュアがたたずむ

▲現代の街の中に重ねられた、国府の記憶の地図

▲想像と発掘、ふたつの視点から浮かび上がる国府のかたち
記録と想像のあわいに立つ
今回の訪問を通じて改めて思ったのは、「記録」とは、ただの事実の羅列ではなく、その背景にある想像力を呼び起こす力をもつということです。
スコープに映し出される映像も、発掘調査の成果も、そこにいた誰かの営みを写そうとする試み。その痕跡を見つめ、現代に届けようとする手仕事の積み重ねです。
そして、その試みに自分の身体で立ち会うという体験は、記録をより身近で立体的なものにしてくれました。
遠いようで近い、かつての国府のまち。
空と風と石碑のそばで、スコープをのぞき込むそのひとときが、今ここに生きる私たちと、1300年前の営みとを、そっとつないでくれているように感じました。

▲この一歩から、千三百年前の都へ
文・写真:しみずことみ
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