由木の小さな歴史の痕跡を探しておさんぽ

由木地域と暮らしの記憶

暮らしに編まれた手の記憶─田口壽夫さんが語る由木の「メカイ」| 東京都八王子市

写真・文:しみずことみ
取材日:2024年9月29日

現代の暮らしの中で、竹細工のざるを手に取る機会は、どれほどあるでしょうか。
かつて由木の農家では、冬になると家の中で「メカイ(目籠)」と呼ばれる竹ざるが編まれ、台所や農作業で日常的に使われていました。そんなメカイづくりの記憶を、今も静かに受け継ぐのが田口壽夫さんです。
竹を裂き、編み、暮らしのために形づくる——
手のひらに残るその技と、父の代から紡がれた家族の物語を、秋の午後、ゆっくりと聞かせていただきました。

はじめに — 手の中に残る「丈夫なざる」の感触

「メカイ」は、細く裂いた竹(篠)を編んでつくる目の粗いざるのこと。食材を煮るときに釜の中に入れたり、収穫物を洗ったり、何かと使い勝手がよく、かつてはどの農家の台所にも当たり前のようにあったという。
「昔のメカイは、煮ても壊れないんだ。だから、魚を炊く料理屋にも重宝されたんだよ」
と、田口さんは少し誇らしげに微笑んだ。


メカイ — 篠竹で編まれた、暮らしのざる

材料になるのはアズマネザサ(東根笹)と呼ばれるシノダケ(篠竹)。伐採は木々が水を吸わない冬場が基本です。
「夏に切っちゃうと、虫がついちまうからね」
田口さんは、使い込まれた刃物を手にしながらそう教えてくれました。
竹を裂き、削り、柔らかくする。繰り返される作業の積み重ねが、丈夫で美しいざるへとつながっていきます。
「これで割るんだ。昔はみんなこうやって、一本ずつ竹を裂いて細くしていったんだよ」
田口さんの手に、長年の技術が静かに宿っているのを感じました。


冬の家仕事と、嫁入り道具

昔の由木では、農閑期の冬になると家の中でメカイを編み、副収入を得ていました。また、編めることは女性のたしなみの一つとされ、嫁入り道具としても重宝されていました。
「昔はな、メカイを編める娘は、嫁入り先でも一目置かれたもんだよ」
暮らしと結びついた手仕事は、家族の営みそのものでもあったのかもしれません。


リヤカーを引いて、町から町へ

若き日の田口さんは、メカイをリヤカーに積み、東京・浅草まで売りに出かけたそうです。
「正月前が一番忙しかったよ。料理屋が景品用にたくさん買ってくれて」
汗を流しながら運び、売り歩く。手作りの道具は、そうして土地を越えて広がっていきました。


田口家の時間と「カサ」という呼び名

「うちの墓をたどると、400年は経ってるんだよ」
そう言って壽夫さんは、さらりと語ってくれました。
田口家は、由木の中でもとりわけ長い歴史をもつ家のひとつ。古くは「イドノウエ」と呼ばれた、井戸のない丘の上の集落に住んでいましたが、水の便のよい「アマノ(天野)」の方へと移り住み、今の住まいに落ち着いたということです。
家系は、長男が本家を継ぎ、次男が今の場所へ分家。壽夫さんの家系は分家筋にあたるが、実は墓誌の年代から見ると「本家よりも古い先祖を持つ」とも語られています。
当時は「本家・分家」ではなく、「カサ」と呼んでいました。「山に高」と書いて「カサ」(※注)。今でも地元では、田口家をそう呼ぶ人がいます。土地に根を張り、世代を越えて守り継がれてきた暮らし。その記憶は、今もこの家に静かに息づいていました。

※注:傘(カサ)、瘡蓋(カサブタ)のカサ、覆うものなどの意味と考えられる。


父・田口茂一さんのこと

「親父の作ったメカイは、どこに持って行っても恥ずかしくなかったよ。格好が違った」
そう語る壽夫さんの表情には、懐かしさと誇らしさが入り混じっていました。
父・田口茂一さんは、この地域で知られた名職人で、仕上がりの美しさは群を抜き、青年団の農産物品評会ではたびたび高い評価を受け、地域文化の担い手としても一目置かれていた人物です。
今でも壽夫さんの手元には、父が残した作品が丁寧に保管されているということで、見せていただきました。編み目の一つひとつに、確かな技と時間、そして家族の暮らしの記憶が宿っています。

今も田口家に残る茂一さんのメカイ。目が均等で美しい。


失われゆく手仕事と記録する意味

ビニール製品の登場によって、竹製のざるの需要は徐々に減り、いつしか「作れる人」そのものが珍しい存在になっていきました。田口さんはそんな流れのなかで、「消えていくなら、せめて記録に残したい」と思うようになったといいます。
「人間の暮らしってのはな、便利になったようで、大事なものは案外、置いてきちまってるのかもしれねぇな」
便利さと引き換えに置き去りにされつつある手仕事の文化。
その最後の語り手として、田口さんは今日も静かに竹を裂き、編み続けています。


おわりに

今回の取材を通して強く感じたのは、メカイという道具を通じて見えてくる手の記憶の重みです。
使い手と作り手、それぞれの手が紡いできた知恵や工夫、そして地域の暮らしのかたちが、この小さな道具には宿っていました。
由木の歴史や風景を記録するなかで、こうした身近な手仕事の記憶を残していくことも、大切な営みのひとつだとあらためて感じています。


取材協力
田口壽夫さん
取材日
2024年9月29日
写真・文
しみずことみ


この記事は、地域の中に息づく手仕事や道具、そしてそれらを受け継いできた人々の記憶をたどる【由木地域と暮らしの記憶】シリーズの一篇です。便利さの裏側で静かに姿を消しつつある昔ながらのものづくり。そのひとつひとつに宿る「暮らしの知恵」や「土地の物語」をこれからも記録し、伝えていきます。


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