文・写真:しみずことみ
植物の名前をひとつ覚えると、世界が少しだけ違って見えてくる。
道ばたの草が、ただの緑ではなく、確かな「存在」として目に映るようになる。
それは、歴史の跡をたどる私の記録活動ともどこか重なっていた。
2025年4月、長池公園園長・小林健人(こばやしたけと)さんの市民自由講座に参加してきました。
多摩ニュータウンの開発が進む中、由木で育ち、子どもの頃から恐竜や鳥、植物に心を奪われてきた人で、その興味は途切れることなく、やがて仕事となり、人生そのものとなったと語る小林さん。
開発と自然、都市と記録、子ども時代の好奇心と大人としての仕事。それらがやわらかく交わる場所に、小林さんの活動があります。
そしてそれは、今の私自身が大切にしている“記録のかたち”とも静かに響き合っているような気がしました。

由木の「今」を記録するということ
私は、由木というまちの“今”を記録する活動をしています。
史跡や暮らしの痕跡、人々の営み、かつてあったものの足跡を追う――カメラを片手に歩きながら、それらを写真と言葉で綴る日々は、私にとって大切なライフワークです。
最近、その記録の視点に「植物」が加わりました。道ばたに咲く花、遊歩道に落ちた実、季節を告げる草のかおり。けれど、私はそれらについてほとんど何も知りません。どうやって記録して、それらについてまとめていったら良いのか考え、途方に暮れているところでした。
そんな中で出会ったのが、長池公園園長・小林健人さんによる講演でした。
出会いの日──小林健人さんの講演に参加して
2025年4月25日、八王子市生涯学習センター南大沢分館で開催された講座「探求しよう!由木の自生植物〜おさんぽ植物調査のすすめ〜」。
講師の小林さんは、ニュータウン開発まっただ中の由木で育った世代。造成されていく土地を横目に、残された斜面や谷戸の自然を夢中で観察していました。その「子ども時代の興味」が、今の仕事に直結しているという話には、思わず胸が熱くなりました。
「昔、虫かごを持って走り回っていたその場所が、今では私の観察フィールドになっているんです」
誰に頼まれたわけでもない、純粋な関心。そして今では地域の植物を何十年も記録し続ける貴重な存在となっています。
静かに紡がれる「植物の記録」
小林さんは講座の中で、こう語りました。
「植物を“名前”で知るのも大事ですが、“今どう生きているか”を記録することもとても大切です」
「どこに咲いていたか、いつ咲いていたか、それを“気づく”ことからすべてが始まります」
この言葉に、私はドキリとしました。
まるで、自分の活動――史跡や風景・地域の人々の暮らしと営みの記録――にも、まったく同じことが言えるのではないかと思えたからです。
名前を知ること。気づくこと。
そして、その一瞬を忘れず、残していくこと。
自然の記録とは、知識を振りかざすものではなく、まなざしを持ち続ける営みなのだと、小林さんは教えてくれたような気がします。
表土を守るという思想、そしてその“根づき”について
多摩ニュータウンの開発において、行政が実施した「表土保全」の取り組み。これは、造成前の自然環境の一部を剥ぎ取り、一時的に保管し、造成後に元の場所へ戻すという試みでした。その中には、数え切れないほどの植物の種子や根、そして微生物の命が含まれていました。ですが、そうした取り組みが本当に意味を持つには、記録と継続的な観察が不可欠です。
小林さんの活動は、まさにその「時間の橋渡し」を担ってきたものでもあります。戻された表土がどうなったのか。何が芽吹き、何が定着したのか。そのひとつひとつを、地道に、飽くことなく記録してきました。
開発と自然が“対立”ではなく、“記憶”と“継承”としてつながる可能性が、そこにはあったのだと思います。
地域を知るために、植物から始める
小林さんの記録によると、由木地域ではこれまでに1700種以上の植物が確認されているということです。その中には、ごく限られた環境でしか見られない珍しい種類や、都市化の中で絶滅の危機にあるものも含まれています。
ですが、講座では「貴重さ」を誇るのではなく、あくまで「身近な草花」をていねいに見ていくことの大切さが語られていました。
「身近な草や花が咲くということは、そこに季節があるということです」
「自然を特別扱いせず、“いまここ”にあるものを見てください」
この姿勢は、私が大切にしてきた「ありふれた風景を記録する」という視点と重なります。目立たずとも、確かにそこにあるもの。それを見つめる目を持つことが、記録者の役割なのだと、改めて気づかされました。
静かな記録者の営み
小林さんの活動は、誰かに注目されることを目的としたものではないのだろうと思います。日々のフィールドノートを記し、何年にもわたって同じ場所を歩き、植物の変化を見守り続ける――それは、まさに“記録者”としてのあり方そのものです。
派手さもない。大きな注目を浴びるわけでもない。けれど確実に積み重ねられた情報と記録が、未来の地域を支えていく。その姿に私は、強く心を動かされました。
由木の“今”を記録する一人として
この講演をきっかけに、私は自分のフィールドノートに“植物”のページを新たに加えました。花の名前も分からない初心者だけれど、「気づく」ことはできる。それが、記録のはじまりだと教わったからです。
史跡も、暮らしも、植物も。どれも同じように、由木という地域の“今”を形作っています。それらが確かにここに存在したということを、誰かが、どこかに、残しておくこと。
私はこれからも、歩きながら記録し続けたい。静かに、淡々と。けれど確かに、時間の重なりをすくいとれたらいいなと、改めて思う日々。これが何よりしあわせなのです。
文・写真:しみずことみ
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