由木の小さな歴史の痕跡を探しておさんぽ

記録の途中

記録の途中 #3 「外から来た人間」としての在り方 | 東京都八王子市由木地域

由木という土地で記録を続けていると、自分が「外から来た人間」であることを、あらためて意識する場面があります。

それは、拒まれたときではありません。
むしろ、親切に迎えられたとき、何気なく昔の話を聞かせてもらったとき、その距離を、ふと感じるのです。


▲下柚木御嶽神社(下柚木)

この場所には、私が来る前から続いていた時間があります。

名前も残っていない日々。
記録に残らなかった営み。
語る人の数だけ、少しずつ違う記憶。

それらは、「知れば分かる」ものではなく、「積み重なって、そこに在る」ものです。

私は、その時間を後から知ろうとしている立場にいます。


▲稲荷神社(中山)

地域の歴史や文化、信仰について、話を聞かせてもらうことがあります。

けれど、その言葉の奥にあるものすべてを、受け取れているとは思っていません。
むしろ、受け取れない部分があることを、大切にしたいと感じるようになりました。

分かったつもりにならないこと。
語れる範囲を、勝手に広げないこと。

外から来た人間として、この場所に立ち続けるための、ひとつの約束のようなものです。


▲永昌院(中山)

ときどき、「もう、この地域の一員ですね」と言ってもらうことがあります。

その言葉が嬉しくないわけではありません。
けれど同時に、少しだけ居心地の悪さも覚えます。

私は、ここに生まれ育ったわけではない。
幼い頃の記憶を、この土地と重ねているわけでもない。

その違いを、なかったことにはしたくありません。


▲別所日枝神社祭礼の様子(別所)

外から来た人間だからこそ、見えるものがあります。

当たり前すぎて語られなくなった風景。
変わってしまったことに、まだ名前がついていない場所。

けれど、外から来た人間だからこそ、見えないものも、たくさんあります。

その両方を抱えたまま、どこに立つのか。

私は、その境目に立ち続けたいと思っています。


▲堀之内北八幡神社夏祭りの様子(堀之内)

記録をするという行為は、どこかで「立場」を選び続けることでもあります。

内側に入り込みすぎないこと。
外側から断定しないこと。

そのあいだで、揺れながら、迷いながら、それでも見えたものを残す。

それは、とても不安定な姿勢です。
けれど、この土地を前にすると、その不安定さこそが、いちばん誠実なのではないかと思うのです。


▲東中野熊野神社夏祭りの様子(東中野)

外から来た人間として、ここに立つこと。

それは、いつか「内側」に入ることを目指す姿勢ではなく、この距離のまま、関わり続ける覚悟なのかもしれません。

私はこれからも、由木という場所に、完全に溶け込もうとするのではなく、かといって、離れた観察者にもならず、この曖昧な場所に立ちながら、記録を続けていくのだと思います。


途中として

この文章もまた、何かの結論ではありません。

外から来た人間として、いま、どこに立っているのか。
それを確かめるための、ひとつの途中経過です。

立場は、時間とともに変わるかもしれません。
感じ方も、書き方も、変わるでしょう。

けれど、その変化ごと、記録していけたらと思っています。

写真・文:しみずことみ

▲東中野熊野神社祭礼の様子(東中野)


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