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取材日記

[相模原]二十三夜堂|相模原市緑区東橋本

以前から気になっていては、時間的都合で素通りを繰り返していた二十三夜堂。
今回は、こちらに立ち寄ることを決めて移動工程を組んだので、ゆっくり拝ませていただくことにした。

東京と神奈川のまさに境目を流れる境川。町田市から相模原市を渡している「蓬莱橋」という橋があり、それを渡るとすぐにあるのが二十三夜堂だ。
早速お参りをして、その後じっくり由来を読んでみると、なんとつい先ほど渡ったばかりの蓬莱橋(旧・精進橋)の橋供養の際に祀られたものだという。
橋供養が行われたのは、今から240年以上前とのことだし、現在の蓬莱橋も先代・精進橋から数百年もの間、多くの人を渡してきたことを思うと、感慨深い思いだった。
目の前の道は細い住宅街にある道としては比較的交通量が多く、車も人も自転車も、さまざまなものが行き交う場所だ。
私の取材中には保育園児と保育士さんたちによるお散歩の列が通っていった。
「白い線よりお外に出ないんだよー」
と優しくまっすぐに伝えながら子どもたちの行動に細心の注意を払いながら歩く保育士さん。
きっと二十三夜様もこの場所で、同じように人々の暮らしを見守ってきたのだろうと思う。

道端の小さな遺物には、かつてここで暮らした人々の身近なストーリーを伝えてくれる。改めてそう感じた。

この地方は、むかし相模国高座郡小山村と呼ばれ、文禄三年(1594年)の検知により、これまで相模国であった現在の町田市小山地方は、武蔵国に編入され、当時高座川(たかくらがわ)と呼ばれていた、この境川を以って相武二国の境界と定めた。 蓬莱橋と改名される前のこの橋は、古くから精進橋と呼ばれ、橋の近くで数々の悲しい事故が起こるたびに、それを神の祟りとか妖怪の仕業とかいって、村人は不安に怯えた。それに心を痛めた地元の有力者大塚市左衛門氏は、相武講中の願主となり、安永十年(1781年)4月、二十三夜講の本尊勢至菩薩を祀って橋供養を行った。この堂内に安置されているのがその時の尊像である。 勢至菩薩はまた、観世音菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍で阿弥陀三尊といわれ智慧の象徴である。ここでは「橋の神様」として崇められていたが、いつしか「足の神様」とし二十三夜の月侍講を中心に広く深く住民に信仰され、現在に至っている。

「二十三夜様の由来」石碑より

名称二十三夜堂
所在地〒252-0144 神奈川県相模原市緑区東橋本4丁目14
駐車場なし
駐輪スペースあり
本尊勢至菩薩
創建安永十年(1781年)4月
目的橋供養

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