由木の小さな歴史の痕跡を探しておさんぽ

記録の途中

記録の途中 #5 同じ重さではなかったこと|八王子市由木地域

写真・文:しみずことみ

※本サイトは、特定の団体の活動記録ではなく、記録者(しみずことみ)個人による取材と観察をもとに構成されています。


由木を歩いていると、
同じ道を歩いているはずなのに、
見えている景色が少しずつ違うことに気づくことがあります。

同じ場所に立っていても、
重ねてきた時間や、持っている関心によって、
見えるものの輪郭は変わっていきます。

それは特別なことではなく、
長く歩いていれば、自然に起こることなのだと思います。

けれど、その違いが、
ただの違いとして受け流せることもあれば、
どこかで立ち止まらざるを得ないこともあります。

そうした違いは、時に、ただの違いとして受け流せない形で現れることもあります。
「由木ぶら散歩の会」に関わる中で、私はそれを実感する場面に出会いました。

「由木ぶら散歩の会」は私にとって、
由木を歩く中で出会ったひとつの場であり、
記録の対象のひとつでもありました。

やり方に違和感を覚え、
その違和感を抱えたまま進むことが難しくなりました。

自分の関わり方や費やしてきた時間が、
同じ重さで扱われていないと感じる場面もありました。

また、時間の使い方やその前提について、
そもそも同じ前提で共有されていなかったのだと思います。

ひとつひとつは小さなことだったのかもしれません。
その場では、流してしまえる程度の違和感でした。

けれど、振り返ってみると、
それらは静かに積み重なり、
自分の中に残っていたのだと思います。

何度か立ち止まりながら考え、
最終的に、距離を置くことを選びました。

決して軽い判断ではありませんでした。
それでも、自分の中では必要な選択でした。

そして、不思議なことに、
その一歩を踏み出したとき、
心がすっと軽くなったことに気づきました。

自分で思っていた以上に、
見えないところで抱えていたものがあったのだと思います。

視界が開けるように、
やりたいこと、見たいもの、撮りたいもの、
書きたいこと、残したいこと、会いたい人が、
次々と浮かんできました。

それは、何かを失ったというよりも、
もともと自分の中にあったものに、
改めて気づき直すような感覚でした。

由木を歩くということは、
同じ景色を共有することだけではなく、
それぞれの見方を抱えたまま歩き続けることでもあります。

同じでなくても、一緒に歩ける人がいる。
ときには、違う視点で同じ道を歩く人と、
笑顔ですれ違うこともあります。

そうした時間の積み重ねの中に、
この土地の豊かさがあるのだと思います。

今回の出来事もまた、
由木を歩く途中で出会った、ひとつの現実でした。

もしかしたら、10年後に振り返ったとき、
まったく違う景色が見えるのかもしれません。

けれど今は、
ここで立ち止まったことも含めて、
自分にとって大切な一歩だったと感じています。

写真・文:しみずことみ

▲松木浅間神社 ( 松木 )

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