由木の小さな歴史の痕跡を探しておさんぽ

由木地域と暮らしの記憶

南大沢薬師堂 奥山半僧坊大権現──田倉豊さんと訪ねた もうひとつの祠

文・写真:しみずことみ
取材日:2025年6月27日

2025年6月27日。 南大沢2丁目にお住まいの田倉豊さんのご自宅を訪ね、敷地内に祀られた稲荷様についてお話を伺う予定でした。

前日の午後、「明日伺います」とご連絡したところ、「薬師様にも一緒に行ってみましょうか」と、豊さんが静かに提案してくださいました。

稲荷様に手を合わせたのち、私たちはそれぞれの自転車にまたがり、ご自宅をあとにしました。風に揺れる木々の葉音に耳を澄ませながら、坂を下っていきます。

▲普段は閉ざされているお堂の扉をそっと開けてくださった田倉豊さん。小さな覗き穴からしか見えなかった薬師様の姿を、この日、初めて間近に見ることができました。

緑に包まれた静かな聖地へ

たどり着いたのは、地域の人びとから「薬師さま」と呼ばれてきた「南大沢薬師堂 奥山半僧坊大権現」。

このあたりに暮らす人びとの信仰を、長い間静かに受け止めてきた場所です。

現在は、南大沢八幡神社の氏子の方々が交代で掃除をしたり、整備を行ったりしているとのこと。 小さなお堂のまわりは公園として整えられ、入口からお堂の前まで、やわらかな人工芝がL字型に伸びています。

この芝は、豊さんがご自身の手で敷かれたもの。 「草取りが大変だからね」と照れくさそうに笑いながらも、こんな話を聞かせてくれました。

「芝を敷いたら、子どもたちがそのまま薬師様の前まで来るようになったんですよ」

知らず知らずのうちに人の足をお堂の前へと導く小さな工夫と知恵が、まるで静かな風のように届いていくようでした。

▲「薬師さま」として親しまれている南大沢薬師堂 奥山半僧坊大権現。地域の人びとの祈りの場として、今も大切に守られています。

▲豊さんが自ら敷いた人工芝。子どもたちが自然とお堂の前まで来るようになったそうです。


奥山半僧坊大権現──見守られ、守られてきた場所

この日は特別に、お堂の中を開けていただき、薬師様の背中まで見せていただくことができました。

木のぬくもりが残る小さなお堂の奥。 静かに佇むご神体の背面には、うっすらと文字のようなものが刻まれているのが見えました。 けれど、その意味はもう定かではありません。
それでも、ここに在り続けていること。 人びとが今も手を合わせ、祈ること。 それだけで、きっと充分なのだと思います。

お堂のすぐそばには、2本の大きな木が立っています。
ひとつは、御神木として祀られているイトヒバ。 もともとは別の場所に根を張っていた木を、ここへと移したのだそうです。もうひとつは、サルスベリ。 かつて南大沢八幡神社の近くにあった南大沢公会堂の敷地から、やはりこの地に移植されてきた木です。
どちらも、もとの場所で人びとの営みを見守ってきた樹木たち。 それがいま、薬師堂のそばで新たな時を重ねています。

静かに佇むその姿に、言葉にはならない思いが胸に浮かびました。

▲ご神体の背には、今は読み取れない何かの文字が。

▲お堂の中に祀られている、奥山半僧坊大権現のご神体。丸みを帯びた石の姿に、どこかやわらかな気配を感じます。


紙垂(しで)に宿る祈り

御神木に結ばれていたしめ縄。 その紙垂(しで)に目をやると、ひとつひとつ丁寧にラミネート加工が施されていました。
「防水になるし、長持ちするんですよ」
豊さんがそう語る声には、日々のなかで少しずつ編まれてきた工夫の痕跡が感じられました。

このしめ縄は、南大沢八幡神社で年末に行われる「しめ縄づくり」の行事で、氏子のみなさんと共につくられたものです。古木に結ばれたしめ縄と紙垂。 そこにあるのは、大きな信仰ではなく、暮らしのなかの小さな祈りのように思えました。

▶しめ縄づくりの記録はこちら: 南大沢八幡神社で迎える新年──しめ縄づくりの記録(2024年12月)

▲別の地から移されてきた御神木のイトヒバ。しめ縄は氏子たちの手づくりで、年末に新しく結び直されたものです。

▲かつて公会堂のあった地から移植されたサルスベリの木。今は薬師堂のそばで静かに季節を見守っています。


静かに響きあうふたつの祈りの場

この日訪ねた薬師様。 そして、午前中に手を合わせた田倉家の稲荷様。
それぞれにかたちも、歴史も異なるけれど、そのどちらにも「祈りが暮らしのなかにある」という静かな事実がありました。

目立たないけれど、確かにそこに在る祈り。 誰かの手によって、今日も守られている祈り。
その記憶がこれからも、このまちのどこかで静かに息づいていきますように。
また、訪ねてみたくなるような、そんな余韻を残しながら、私は豊さんとともに、その場をあとにしました。

▶田倉家に伝わる稲荷様の記録はこちら: 田倉家の稲荷様──ひとりで守る、家と土地と神さまの記憶

▲ラミネート加工された紙垂。小さな工夫に、豊さんの祈りへのまなざしが宿っています。


取材・協力
田倉 豊さん
取材日
2025年6月27日
写真・文
しみずことみ


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