文・写真:しみずことみ
2025年1月26日、冬晴れの日曜日。
会場となった南大沢会館の駐車場には、朝から薪の燃える香りと蒸気のあがる音が立ちのぼっていました。
この日は、南大沢町会が主催する「新春餅つき大会」。私は町会活動推進部会の一員として、ポスターの制作、当日の記録撮影、そして記録映像の制作を担当しました。
湯気のむこうで縁”との出会い
もち米がふかされる鉄釜のそばで、炎と向き合う人の姿があります。
「まだ芯があるな」「もう少しだよ」
湯気のむこうに交わされる声は、静かな打ち合わせのようでもあり、長年の勘のやりとりのようでもありました。
餅つきはただの行事ではなく、目に見えないリズムと信頼が積み重なる共同作業なのだと、あらためて感じさせられる時間でした。

▲せいろから立ち上がる湯気。火と水と時間のかたまりのような香りがただよう。
餅をつく。みんなでつく。
熱々の蒸し米が臼にうつされると、木の杵が振り下ろされる音が響きます。
「よいしょー」「もう一丁!」
会場の空気がひとつにまとまっていくその瞬間、写真のファインダー越しにも、場の熱が伝わってきました。
普段は静かな駐車場が、この日ばかりは笑い声と湯気と掛け声に満ちていました。


▲杵の重さを感じながら、息を合わせて。見守る視線もまた、参加者の一人。
並ぶ、よそう、いただく。
ついたお餅は、その場で小分けにされ、さまざまな味付けがほどこされていきます。
並ぶ人、よそう人、運ぶ人。
動線も含めてみんなが自然に動いていて、「この場所に馴染んでいる人たちの輪のなかに、今日は自分も混ざっている」と感じられる温かさがありました。

▲どの餅を選ぶか迷ってしまう。きなこ、あんこ、大根おろし、のり。いくつでも食べたい。

▲並ぶ人、よそう人、運ぶ人。世代を超えて息の合った気持ちが良い。

はじめての「つながり」に出会う
今回の餅つきには、「由木ぶら散歩の会」のメンバーも来てくれました。
かつてから町会を支えてきた方々と、新しく地域に関わる人たち。年齢も背景も違う人々が、お餅を通じて自然と会話を交わしている様子に、どこか未来の風景を見たような気がしました。

▲お餅を囲んで並ぶイスとテーブル。多世代の会話があちらこちらに。
ポスターを「つくる」ことから
今回のイベント告知のため、私はポスターのデザインも担当しました。
印刷・配布は、地元の四社寺での初詣の折に、氏子さんや町会の方の手によって丁寧に行われたそうです。
それぞれができるかたちで参加し、つながっていく。
「つくる」という行為が、誰かを招き、また別の誰かを巻き込んでいく。そんな連鎖のはじまりに自分が関われたことを、いまは少し誇らしく思っています。

▲デザインを担当したポスター。配布は四社寺の初詣時に行われた。
記録するということ
動画を編集しながら、何度も同じ場面を見返しました。
手のひらに乗る小さなお餅が、思っている以上に多くの力と時間をかけてつくられていたこと。
ひとつの「いただきます」の背景に、たくさんの人の動きと想いがあったこと。
映像を記録するという行為は、過去を振り返るだけでなく、見えなかったものを発見し、残していく営みなのだと、あらためて感じました。
また来年、この場所で
お餅の味はもちろん、会場にあふれていたあたたかさや、一瞬の交わりの光景こそが、記憶に強く残っています。
「また来年も来ようね」
そんな声が、あちらこちらで聞こえていました。
日常のなかにある非日常。
小さな行事を、こうして残していくことで、少しずつ地域の輪郭が見えてくるような気がします。
文・写真:しみずことみ
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