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由木地域と暮らしの記憶

年の瀬の境内で ─ しめ縄づくりの記憶 | 南大沢八幡神社 | 東京都八王子市南大沢

文・写真:しみずことみ
取材日:2024年12月15日

年の瀬を迎える2024年12月15日、南大沢八幡神社では、氏子さんたちによるしめ縄づくりが行われました。 この日も朝早くから、境内には静かに人が集まっていました。

総代を中心に、顔なじみの氏子さんたちが、手際よく準備を進めていきます。 神職の姿はなく、しめ縄の意味や作り方の説明もありません。 ごく簡単なあいさつのあと、皆それぞれが自然に作業に取りかかる、そんなアットホームな始まりでした。

無言の伝承

私が神社に到着したのは、作業が始まってしばらく経ってからのことでした。 実は、直前まで別のイベント撮影の仕事が入っており、合流が遅れてしまったのです。

すでにあちこちで藁が編まれ、細かな飾りの取り付け作業に移っているところでした。 わらの香りが、冬の澄んだ空気の中でやさしく漂っています。

特に説明があるわけでも、誰かが仕切るわけでもない。 けれど、皆の手が自然に動き、作業が進んでいく様子には、言葉にならない技と心の継承がありました。

▲言葉を交わさずとも、手の動きで通じ合う。慣れた手つきで、しめ縄が少しずつかたちを帯びていく。


手で綯うことの意味

今では多くの神社で、しめ縄は外部から購入したものを使っています。 既製品を古いものと交換するだけ、という形式も決して珍しくはありません。そんななかで、南大沢八幡神社では、今でも氏子さんたちが自分たちの手で作っているという事実に、強く心を動かされました。

しめ縄は、神様を迎えるための結界。 けれどこの場所では、神様を迎えるだけでなく、氏子さんたちの気持ちや時間そのものが、編み込まれているようにも見えます。

▲一本のしめ縄に込められる、年の瀬の静かな気配と氏子たちの手仕事。奥に立ちのぼる湯気も、冬の境内をやわらかく包んでいた。

▲手際よく、そして丁寧に。特別な説明がなくとも、道具と藁に向き合う手元には、長年の経験と阿吽の呼吸がにじんでいました。

▲編み上げたしめ縄の形を整えるように、余分な藁を丁寧に切りそろえていく。一本一本の作業に、年神様を迎える心づかいが宿ります。


編まれる時間と関係

作業中、にぎやかに談笑するというよりも、それぞれが黙々と、しかし気を張ることなく手を動かしている姿が印象的でした。

お互いの動きを見ながら、無理なく、自然に補い合う。 その様子は、地域における人と人との関係性そのものを映し出しているようでもありました。

終わったあとは、用意されたお弁当を皆でいただく時間。 境内の一角で広げられた簡素な食事の場には、作業とはまた違った笑顔や言葉が交わされていました。

▲仕上がったしめ縄を拝殿に取りつけていく。年末のやわらかな陽射しのなか、氏子たちの手で境内が少しずつ新年を迎える装いに整えられていきます。

▲できあがったしめ縄を、丁寧に本殿へと取り付ける。年の瀬の光のなかで、手のひらのぬくもりが次の一年へと受け渡されていくようでした。

▲取り付けたしめ縄の左右の高さを、境内からじっくりと確認する。真剣なまなざしのなかにも、どこか和やかな空気が流れていました。


風景としての祈り

しめ縄づくりは、単に「年中行事」という枠におさまるものではないと、改めて感じました。

決して派手な行事ではありません。 華やかな装飾や賑わいもありません。 けれどそこには、たしかに地域の営みと祈りがありました。

誰に見せるでもなく、誰のためと決めることもなく、淡々と続いていく作業。 それが暮らしの中の風景となって、毎年のしめ縄をかたちづくっているのだと感じます。

▲年末の澄んだ空気のなか、新しいしめ縄が取り付けられた本殿。氏子たちの手で編まれた縄が、境内に清らかな気配をもたらしていました。


結びに

写真を撮りながら、私はふと、来年のこの風景を思い描いていました。 同じように藁を綯い、同じように笑い合い、同じように食事を囲む人たち。 そのなかに、自分もまた静かに居合わせていたい。

そんなふうに思わせてくれる、年末の境内でした。

▲作業を終えたあとのひととき。冬の陽だまりのなか、あたたかいお弁当を囲んで会話が弾みます。年の瀬の境内に、やわらかな笑顔が広がっていました。


取材・協力
南大沢八幡神社
取材日
2024年12月15日
写真・文
しみずことみ


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