
文・写真:しみずことみ
あたたかい時間が残っていた
まだ蝉の声が響く真夏の朝。私は南大沢駅から歩いて10分ほどの場所にある、八幡神社の石段をゆっくりと登っていた。
ここは、ニュータウンとして都市計画された街・南大沢において、いまなお「旧住民たちの時間」を感じられる、数少ない場所のひとつだ。ツクツクボウシの鳴く境内には、手作業で飾られた提灯、日除けの下で準備を進める氏子や町会、消防団、そして、地元の子どもたちの緊張と期待が交錯する空気が、静かに流れていた。

旧住民の人々がずっと守り続けてきた神社
この神社は「南大沢全体の鎮守」とされているが、実際に氏子として関わっているのは、南大沢1丁目と2丁目に住む人々が中心となっている。そこは、ニュータウン開発前から暮らしていた、いわゆる“旧住民”の人々が暮らす地域だ。都市計画により造成された街の中で、ここだけは風景が、空気が、少し違う。
私がこの地域を訪れ、記録をはじめたのは、まさにそんな「違い」に、何か大切なものを感じ、それを無意識に求めていたからかもしれない。


新参者が、実行委員になった夏
2024年の夏、私は思い切って、南大沢八幡神社の例大祭について「記録撮影をさせてほしい」とお願いした。
この地域に越してきて10年。神社の存在には前から関心があり、なんとなく気になりながらも、どこか“よそ者”としての遠慮が拭いきれなかった。
けれど、「今この風景を、今この音を、記録に残したい」。
その思いが、ついに背中を押した。
ありがたいことに、南大沢町会推進化部会や例大祭実行委員の皆さんは、そんな私を快く迎え入れてくださった。
気がつけば、実行委員の末席に加わり、準備会議から前日設営、当日の記録撮影まで、しっかり中に入って関わらせていただくことになった。「記録者」として地域に関わるというのは、ただ撮るだけではない。
そこに生きる人たちの時間や思いに、静かに寄り添い、風景の向こう側にある声なき声をすくい上げていく営みだと思う。 この夏は、まさにその第一歩だった。

人と人がつながる音
お囃子の音が響き始めると、境内にいた誰もが、自然と体を向ける。笛の音、太鼓のリズム、そして七頭舞(ナナズマイ)。演奏する側も、見る側も、「どこかで知っている誰か」のことを思いながら、拍手し、声をかけ、笑い合う。
境内には屋台が並び、氏子だけでなく、町会、消防団やこども会、そして近所の大学のサークルや企業からも出店があり、とても賑やかだった。
そこには確かに「暮らしの時間」が編まれている音があった。

熱気、声、空気、全部を記録したい
このお祭りの様子は、映像にも記録した。祭りの熱気、風の揺れ、笑い声、そして真剣なまなざし。自分のカメラ越しに見つめながら、私は何度も胸が熱くなった。
映っているのは人々の姿だけではない。
南大沢という街が持っているもうひとつの表情――地図や開発図面には残らない、“記憶の層”のようなものが、確かにそこにはあるのだ。

歴史のなかの「現在地」
南大沢八幡神社が創建された正確な時期は明らかでない。だが、旧地名である「鑓水村」や「由木村」との関わりをたどれば、この神社も、単なる宗教施設ではなく、人々の暮らしの寄りどころとして存在してきたことは間違いない。神楽殿の舞台では、素人芝居や粉屋踊りなどの娯楽を提供し、人々の心を満たしてきたという背景もある。
かつては田畑と里山が広がっていたこの地も、今では大型商業施設や高層マンションに囲まれている。
けれど、神楽の音とともに浮かび上がる「もうひとつの南大沢」は、確かに今も生きている。

いつか未来に、この写真が誰かをつなぐように
10時間を超える撮影のあいだ、私のApple Watchは心拍145を超えたことを2度も警告した。それでも、不思議なほどに疲れは感じない。目の前の光景が、ただただ、愛おしかった。
記録するという行為には、冷静な距離も必要だ。けれど、この日ばかりは、「この街にこんなにもあたたかい時間がある」と伝えたい――そんな想いがあふれてしまって、どうしようもなかった。

そして、私は記録を続ける
地域に根ざした文化を守るのは、時にとても地味な営みだ。でも、静かに記録し続ける人がいることで、誰かの記憶の中で、土地の歴史が途切れずに残ることがある。私はその“誰か”でありたいと思った。
私にとって、とても大切な数日となった。この日見た光景を、私の思いを受け止めてくださった地域の皆さんのあたたかさを、ずっと忘れることはないだろう。
文・写真:しみずことみ