由木の小さな歴史の痕跡を探しておさんぽ

地域のまつりと祈り

善照寺 報恩講 ─ 祈りの時間とその場をつなぐ記録 | 東京都八王子市堀之内

写真・文:しみずことみ

静かな秋の朝。堀之内の善照寺では、本堂の扉が早くから開かれ、準備に追われる住職や関係者の姿がありました。2023年11月、真宗大谷派の寺院・善照寺で営まれた報恩講(ほうおんこう)は、コロナ禍を経た今、あらためて「場をともにすること」の意味を問いかける営みとなりました。
この日、私もまた記録係として本堂に入り、配信カメラとレンズを調整しながら、かすかな緊張感とともにその場の空気を感じていました。

▲荘厳な煌めきのなか、報恩講の勤行が静かに進む。本堂に響く鈴の音が、祈りの時を告げていた

報恩講とは─阿弥陀如来と親鸞聖人を偲ぶ法要

報恩講は、浄土真宗において最も大切な法要のひとつとされ、宗祖・親鸞聖人のご命日にあわせて行われる行事です。阿弥陀如来の教えを受け継ぎ、念仏の教えを語り伝えてきた聖人に報恩の念を捧げるこの法要は、単なる儀式ではなく、今を生きる私たちが自身のあり方を見つめ直す時間でもあります。

善照寺では、コロナ禍の影響で対面での集まりが制限されるなか、2020年から試験的に配信の取り組みを始めました。私はその年から記録撮影のご縁をいただき、以降は年間を通じて四季折々の行事や風景を撮影しました。Webサイトに使われている多くの写真も、その活動の中から生まれたものです。

善照寺Webサイトはこちら

▲ゆれる金の飾りと、まっすぐな灯。報恩講の時間の中で、静かに揺れ続ける装飾とろうそくの炎。そのわずかな動きが、空間全体に祈りのリズムを与えていました。

▲香煙ゆらぐ、祈りのあいだ。立ちのぼる煙が、静かな時間の流れを可視化する。目には見えない思いが、この香炉からやさしく広がっていた。


ハイブリッド開催というかたち─見えない気遣いの積み重ね

2023年の報恩講は、オンライン配信と対面参加を組み合わせた「ハイブリッド開催」となりました。もともと年配の参詣者が多いこの法要では、感染症対策への配慮は欠かせません。会場の換気や席の間隔、参列者の誘導、配信機材の設置位置に至るまで、目に見えない気遣いが細部に宿っていました。

私の役割は、そうした配慮のうえに成り立つこの時間を、記録というかたちで未来へ残すことでした。

ライトの位置を調整し、マイクの感度を確認しながら、私は「どこまで映すべきか」「どこで止めるべきか」常に考えていました。
ただ単にカメラを回すだけではない、その場にある祈りや空気、沈黙の重みまでが写し込まれるような撮影を目指していたのだと思います。

▲ともに場をつくる報恩講。本堂には静けさとぬくもりが満ちていた。参詣者も僧侶も、そこに居合わせるすべての人が場の一部となっていた。

▲阿弥陀如来の前で、報恩講の読経が静かに響く。祈りの時間が、ゆっくりと本堂を包んでいく。


届けることの意味─モニター越しの参加者へ

配信を通じて法要に参加する方々がいる──それはかつて想像もされなかったことです。しかし今では、高齢や病気で足を運べない方、遠方に住むご家族、子育てや介護の合間に少しだけ画面をのぞく方など、多様な参加のかたちがあります。

一方で、配信がただの記録映像になってしまわないよう、カメラの画角や動き、マイクの位置を調整しました。礼讃の声が響く場面、導師の語りかけにうなずく参列者の表情、仏具の鈍い輝き──それらひとつひとつが、画面の向こうの誰かに届いてほしいと思っていました。

▲声にのせて紡がれることば。お経の一文字一文字が、静かに空気を震わせながら本堂に沁みわたっていく。


祈りの空間に身を置いて

法要が始まると、堂内は荘厳な仏具のきらめきと、読経の声に包まれました。

導師の読経にあわせて、僧侶たちが丁寧にお勤めを進めていく姿。参列者たちが静かに目を閉じ、それぞれの祈りを胸に刻む姿。そのすべてが、どこか懐かしく、そして今しか見られない光景として、私の記憶に焼き付きました。

一瞬ごとの光や音、表情の動きに目を凝らしながら、私はシャッターを切り続けました。それはあたかも、祈りそのものを記録しようとする行為のようでもありました。

▲報恩講の読経のひととき。言葉のひとつひとつが堂内に静かに響き渡る。


おわりに─記録するという営みの先に

配信を終え、機材を片づけた後、本堂の縁側に腰を下ろしてみました。紅葉が少しずつ色づきはじめ、境内には穏やかな風が吹いていました。

この数年、善照寺という場所を通じて、多くの行事や人々の思いに触れてきました。報恩講という大切な法要を、こうして記録のかたちで支えられたことは、私にとって何よりの学びであり、ささやかな誇りでもあります。

撮ること、残すこと、そして届けること。それぞれの営みが誰かの記憶の中にそっと根を張るように──これからも静かに、その場に立ち続けたいと思います。

▲木洩れ日の道を抜けて、静けさと祈りの余韻が、まだ足もとにそっと残っている気がした。

写真・文:しみずことみ


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