写真・文:しみずことみ
取材日:2022年10月30日
2022年の秋、堀之内にある善照寺で、「おみがき」と呼ばれる行事が行われました。
「今度、檀家さんたちと“おみがき”っていう、仏具をきれいにする行事をするから撮りに来てよ。」
そんなふうに住職から声をかけていただいたのは、少し前のこと。
このお寺では、いつも行事や節目にあたたかく迎えていただき、記録というかたちで関わらせていただいています。
この日の「おみがき」は、コロナ禍で中止が続いていたあいだを経て、ようやく再開された第一回目の開催でした。

▲松の枝をそっと取り外す。飾りの一つひとつに、丁寧なまなざしが注がれていました。
はじまりの空気
おみがきの前に、一同が別室に集まり、住職から今日の行事の意味や、これまでの経緯についてのお話がありました。
「久しぶりだね」
「元気だった?」
参加者の間で、そんなやわらかな声が交わされ、このお寺がただの宗教施設ではなく、誰かにとっての居場所であり、拠り所でもあるのだということ。そのことが、自然な空気の中にじんわりと滲んでいたように思います。

▲住職から仏具や本堂についての説明を受ける参加者たち。その眼差しは真剣でした。
手を動かしながら
やがて、おみがきが始まると、場の空気が少し引き締まります。
スポンジ、たらい、新聞紙の上に並べられた仏具。それらは長年使われてきた真鍮の器や装飾具たちです。
「これ、こっち持ってくね」
「こっちは終わったよ」
言葉を交わしながら、手を動かし、笑い合いながら、仏具はひとつずつ光を取り戻していきます。
黙々と集中する時間と、誰かの手と声が交差する時間。その合間には、どこかぬくもりのようなものが流れていました。

▲たらいの中で、ひとつずつ丁寧に洗われる仏具。冷たい水の中に、静かな手のぬくもりが宿る。
ひとつずつ手向けのように
本堂に飾られた装飾具も、ひとつひとつ取り外され、拭きあげられていきます。
仏具を分解して、洗って、磨いて、また組み立てる。
その一連の手つきには、単なる掃除とは異なる、静かな「手向け」のような気配が宿っていました。

▲手から手へと仏具が受け渡され、磨かれていく。柔らかな光の中で、静かな共同作業が続いていました。

▲手に持たれた仏具が、少しずつ輝きを取り戻していく様子。無言の時間も心地よい。
輝きが戻るとき
そして、磨き終えた仏具が再び本堂へと戻されていくと、不思議と空間そのものが明るさを増していくように感じられました。
誰かが手をかけたものを、また別の誰かが受け取り、次へとつないでいく。その営みが積み重なることで、生まれてくるものがあるのかもしれません。
この日のおみがきには、そんな“目には見えにくい祈り”が込められていたように思います。

▲磨き上げられた仏具が、ひとつずつ本堂へと戻されていく。その様子を見守るまなざしが、空間にやさしさを添えている。
報恩講へとつながる記憶
この日記録した風景は、翌年2023年11月におこなわれた報恩講へとつながっていきます。
清められた仏具の向こうに、集う人びとの時間と想いがありました。
こうした営みを、これからも静かに見つめ、記していきたいと思います。

▲ひとつひとつ並べられた仏具が、静かにその場の空気を変えていくようでした。
取材協力
真宗大谷派
善照寺
取材日
2022年10月30日
写真・文
しみずことみ
この記事は、地域の中に息づく手仕事や道具、そしてそれらを受け継いできた人々の記憶をたどる【由木地域と暮らしの記憶】シリーズの一篇です。便利さの裏側で静かに姿を消しつつある昔ながらのものづくり。そのひとつひとつに宿る「暮らしの知恵」や「土地の物語」をこれからも記録し、伝えていきます。
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